かつてUAEやオマーン、サウジアラビアを旅した際、数多くの出稼ぎパキスタン人に出会った。
その多くは、タクシー運転手やパキスタン料理屋の従業員として働いていた。平均年収6万円とも言われるパキスタン人にとって、サウジアラビアやUAEは、出稼ぎ先として人気だという。自国と同じイスラム教が信仰されているため、生活がしやすいのだろう。
ただ、サウジアラビアでは民間企業における最低賃金が決まっていなかったり、UAEでは人種による収入格差が激しかったりと、外国人が働くのに良い環境というわけではない。
そのため、タクシードライバーに
「日本は賃金良いんだろ。日本で働くにはどうしたら良いんだ。俺を日本に連れていってくれ。」
なんてお願いされることもあった。
しかし日本も、外国人技能実習生の労働環境が酷いと国際的に非難されていたりする。恥ずかしい限りだが、自分の国を快く勧めることはできなかった。
そうしてパキスタン人たちと会話をしていると、
「俺の国に来いよ、何でもご馳走する」
と皆口を揃えて勧誘してくれた。
出会いの連続で親しみが湧いたパキスタンを、いつか訪れようと心に留めていたのだった。
それから3年以上経過した2023年。
たまたま友人が、「パキスタンに行きたい」と呟いているのを見つけてしまった。
コロナ禍で忘れかけていたパキスタン渡航欲が一気に蘇ってきた。
「俺もパキスタンに連れていけ」
と、酔っ払いながら友人に連絡を入れたのが、今回の旅のきっかけだった。
その結果、トントン拍子にパキスタン行きが決まった。
旅が決まる時はいつもこんな調子である。
社会人の貴重な9日間の夏休みを、全てパキスタンに使うこととなった。
パキスタンやイスラマバードという名前を聞くと、「テロ」「危険」というイメージを抱くかもしれない。実際、すべての人が安全に旅行できる国かと言われると、決してそうではない。外務省の海外安全ホームページでは、パキスタン全土がレベル2(不要不急の渡航は止めてください)以上になっている。外務省の危険情報は、「専門家ではない、一般的な日本人の個人渡航者」を対象としており、実際の治安状況と乖離があることも多いが、実際にアフガニスタンやイランとの国境付近ではテロが相次いでおり、一般人の渡航は容易ではないと言える。
そんな状況の中、しかも結婚式を挙げた1ヶ月後に、友人とのパキスタン旅を許してくれた妻には大変感謝している。
もちろん旅は安全に越したことはない。冒険好きだが、これでも徹底的に下調べを行う性格である。
しかし9.11以降はパキスタンを訪れる観光客がかなり減ってしまい、さらにここ数年のコロナ禍の影響で、日本語でヒットするネット情報は新しいものがほとんどなかった。書籍を見ても、パキスタンの地球の歩き方は2007年から更新が止まっており、現在は絶版になっている。
そこで言語を変え、英語で情報を得ることにした。だがここでも壁にぶつかる。
世界一のシェアを誇る旅行ガイドブック「Lonely Planet(ロンリープラネット)を見ると、最新版は2008年だった。これでは使い物にならない。何か他にまとまったガイドブックはないかと調べていくと、イギリスから出ている「Insight Guides Pakistan」が2020年に出版されていたため、こちらを旅の3ヶ月前に購入し、読み込むことにした。
加えて旅先で出会ったパキスタン人に情勢を尋ねたり、テロの発生状況をサイトで調べるなどして、比較的治安が安定しているパキスタン北部地域を中心に旅をすることを決めた。
パキスタンに入国する際にはビザが必要となるが、特別に必要なものは旅行初日の宿泊予約証明書くらいで、申請してから2,3日でビザが降り、拍子抜けした。
費用も8.18ドルと、良心的な価格である。
注意点としては、このビザのコピーを旅行前に大量に準備しなければならないことだ。詳しくは後の記事を参照いただきたい。
迎えた夏休み当日。学生時代から愛用しているモンベルのバックパックを背負い、空港へと向かう。
取得したビザの画面をカウンターで提示し、スムーズに出国手続きを終えた。
まずはトランジットのため、バンコクのスワンナプーム国際空港に降り立った。
パキスタンの国教であるイスラム教では飲酒が禁止されているため、この旅最後のつもりでビールを流し込んだ後、首都イスラマバード行きの飛行機に搭乗した。
イスラマバード行きの機内には、ヒジャブを身につけた女性と髭をたくわえた男性しか見当たらず、久しぶりのイスラム教国家訪問に胸を躍らせると同時に、その中で僕らだけ酔っ払っている背徳感を抱きながら、深い眠りについた。
当時はまだ、この2日後にパキスタンで酒を飲むことになるとは、全く想像すらしていなかった。
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