ヨルダンからサウジアラビアの国境越えの道中、車窓の外に広がるのはどこまでも続く荒涼とした大地。ここは、サウジアラビアが世界に誇る未来都市計画 NEOM(ネオム) の開発地である。

運転していたアブドゥッラーが口を開く。
「俺はこの NEOM の国家プロジェクトの一つ、SINDALAH(シンダラー)島でマリンスポーツ関係の仕事をしていたんだ。」
NEOM とは、サウジアラビアが砂漠の中に建設を進める超巨大都市構想で、SINDALAH や 垂直都市 THE LINE をはじめとするいくつものメガプロジェクトで構成されている。その目的は、石油依存からの脱却と、観光・テクノロジーを中心とした新しい経済基盤の確立だ。
アブドゥッラーがかつて働いていた SINDALAH(シンダラー) は、紅海に浮かぶ高級リゾート島だ。
ヨットのマリーナ、ゴルフクラブ、ラグジュアリーホテルなどが建設されており、2024年10月にはプレオープンイベントが開催された。しかし、正式な開業には至っていない。

僕はその島について、訪問前に「オープン済み」との情報を頼りに調べていたが、どのサイトを見ても詳細が出てこなかった。その理由を、このとき初めて理解した。
「プレオープンの時、国王が現場を訪れたんだ。完成を見て『もっと良いものができるはずだ。オープンを延期しろ』と命じた。」
アブドゥッラーはそう語る。その場にいたスタッフ全員が驚き、そして唖然としたという。結果として、プロジェクトの会長も彼自身も職を失った。
それでも、彼は穏やかな笑みを浮かべて言った。
「国王はとてもスマートな人だ。きっと、もっと良いものができるはずだ。」

2025年の大阪・関西万博でも紹介されていた NEOM。そのような華やかな映像の裏に、現場で働く人々の現実があることを、僕はこのとき初めて実感した。
NEOM の開発は、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子が推進する国家改革計画 「Vision 2030」 の中核をなす。観光ビザの解禁や、古代遺跡アルウラの再開発も、この政策の一環として始まった。
その象徴的存在が、THE LINE(ザ・ライン) と呼ばれる垂直都市である。

高さ500メートル、長さ170キロメートルにも及ぶこの線状都市は、100%再生可能エネルギーで稼働し、都市内の全ての生活圏を徒歩5分以内に配置する設計だ。さらに、都市の端から端までを20分で結ぶ高速鉄道が通る予定である。まさに「未来都市」という名にふさわしい構想だ。
だが、現実は理想とは異なる。予算の逼迫により建設は大幅に遅れており、2030年までに完成するのはわずか数キロメートルの区間にとどまる見通しだ。それでも、高さ500メートルの鏡面の壁が砂漠の中を数キロ続くだけでも、そのスケールには圧倒される。

一方で、この巨大開発の裏側には、見過ごせない問題もある。
NEOM の砂漠にはもともと、ハウィタート族(Howeitat) というベドウィンの遊牧民が暮らしていた。だが、開発計画のために彼らの多くがタブークなど都市部への移住を余儀なくされている。
一部は立ち退きを拒否し、抗議運動を展開したが、政府の弾圧により、最後まで抵抗していた男性1人が殺害され、3人が死刑判決を受けたという。
すでに約6,000人が移住させられ、今後さらに2万人が移住対象になると報じられている。
さらに、建設現場では多くの移民労働者が雇用されている。彼らの多くは南アジアから来た出稼ぎ労働者で、低賃金・長時間労働・劣悪な生活環境が問題視されている。サウジの酷暑の中、日射と砂塵の中で働く彼らの姿を想像すると胸が痛む。
またNEOMの建設には移民労働者が多く雇用されているものの、低賃金や長時間労働、生活環境の悪化が課題とされている。場所は異なるが、2034年のFIFAワールドカップに向けた建設現場でもパキスタン人監督が転落死したというニュースが記憶に新しい。2016年以降、サウジやカタールの建設現場で、ネパール・バングラデシュ・インド出身の労働者2万人以上が命を落としたとも言われている。
アブドゥッラーは静かに語った。
「確かに課題は多い。ベドウィンはタブークに追い出された。でも、長い目で見れば、この開発はサウジの未来に利益をもたらすと思う。」
彼の言葉には、矛盾を抱えながらも祖国の未来を信じようとする、誠実な思いが滲んでいた。

NEOM――それは、サウジアラビアが砂漠の中に描く“未来への夢”であり、同時に多くの矛盾と犠牲をはらむ“現代の寓話”でもあった。
そう考えているうちに、車は NEOM の砂漠を抜け、遠く紅海の輝きが見えてきた。未来の都市がどんな姿で現れるのか。その答えを知るのは、まだ少し先のことだろう。