ギルギット空港に着陸した僕らは、今回の旅のハイライトとなるフンザを目指していた。
ギルギットからフンザまでは陸路で2-3時間で行くことができ、手段としてはバスとタクシーがある。今回はスケジュールが限られていたことから、なるべく早く辿り着けるタクシーを利用することにした。
空港の外に出ると、多くのタクシードライバーが待ち構えていた。タクシーを探す外国人観光客は僕らただ1組だけだった。
ドライバーたちの壮絶な客引き合戦が始まる。
交渉し始めて早々に、お互いの言い値が気に食わなかったのか、ドライバー同士の怒鳴り合いに発展した。そのうち一人は、駐車場に置いてあったスタンド看板を持って他のドライバーに殴りかかろうとする。
その直後、看板は地面に叩きつけられたので、幸い人が怪我をすることはなかった。
その血気盛んさに僕らは全く反応することができず、ただ茫然とするしかなかった。
一方、僕らに対しては不当な値段を吹っかけてくる様子はなく、不思議なくらい終始優しかった。もう少し身内にも優しくしたらどうかと思っていたところ、すぐにタクシーは決まった。
ドライバーのアシュラフは、僕らの乗車が決まると「これでもやっとけ」と言わんばかりに、タクシーのトランクからボードゲームを投げ捨てると、他のドライバーたちはそれを受け取り、大人しく地面でボードゲームをやり始めた。同時にアシュラフは少しの食料とお金を渡していた。
ギルギット空港に着陸する便は1日に2本しかない。目の前の僕らを逃すと、今日1日全く収入が得られなくなる可能性もある。それを見かねての行動なのだろう。こうやって普段からお互い助け合って暮らしているようだった。
別のパキスタン人から聞いたのだが、ギルギット空港でタクシーを探す際は、運転手がギルギット在住だと、フンザ在住の場合と比較してタクシーの運賃が安くなるという。ギルギット在住のドライバーは、フンザまで運転すると、再度客を乗せるなどしてギルギットまで帰ってこないといけないからだ。
今回のアシュラフはギルギット在住であった。そのため、「フンザ行った後はどうする予定なのか」「ギルギットまで帰ってくるのか」と尋ねてきた。帰りの足を確定させておきたかったのだろう。
僕らの予定としては、フンザ周辺を2日間観光した後、ギルギット空港まで陸路で帰ってきて、イスラマバード行きの飛行機に乗ると決めていた。その予定を伝えたところ、ギルギットからフンザ周辺含め全ての行程を一緒に回ってくれるとのことだった。アシュラフとしても御の字だっただろう。料金を相談して、運転をお願いすることにした。
アシュラフとともにギルギットを出発し、カラコルムハイウェイを北上していく。フンザは秋になると、黄金色に染まるポプラや紅葉が谷を彩ることで有名である。そのベストシーズンは10月と言われているため、僕らが行った11月に紅葉が見られるか心配だったが、その不安は道を進めば進むほど消えていった。
雲1つない空の下、黄色く色づいたポプラの木の間を青く澄んだ川が流れ、バックには険しい山々が立ち並ぶ。待ち侘びていた景色だった。この先のフンザではどんな景色が待っているのかと思うと、さらに期待が膨んでいく。
標高が上がるにつれて冷え込んできたので、体を温めるため、途中の休憩でチャイを注文した。パキスタンのチャイは、南アジアで飲まれるインドと同じミルクティーで、ミルクなしで砂糖だらけの中東のチャイとは異なるものだった。程よい甘さでしつこさがなく、たちまち飲み干してしまった。
座っているテーブルからは、ラカポシという山が見えていた。標高は7,788m。もうこの辺りは7000m以上の山ばかりだ。ただその中でもラカポシは、麓を流れるフンザの川から頂上まで垂直にほぼ6,000mの高さがあり、この意味では世界最高峰とも言われている。
太陽に照らされ、山頂に白煙をたなびかせるその姿は圧巻だった。
そして走り続けること計2時間半、とうとう待ちに待ったフンザに到着した。
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