中国から陸路でやって来た友との再会【カラコルムハイウェイ】vol.3

旅の記録

フンザに到着したので、宿に荷物を置いて早速散策に出かけることにした。
フンザとは、正確には谷があるこの地域一帯の総称であり、中心となる町の名前はカリマバードである。

カリマバードには、メイン通りに沿って小さなバザールがあり、この地域で栽培されたドライアプリコットが店頭に山積みになっていた。

カリマバードのバザール
突然の日本語に驚く。かつては日本人観光客も多かったそうだ。今やこの看板の意味がわかる店員は誰もいない。

カリマバードは標高が2,500mと高所のため、坂道を歩くだけで自然と息が上がる。高地に体を順応させるため、深呼吸しながら、ゆっくり歩みを進めた。通りから崖側を見渡すと、山肌一面に黄金のポプラが広がる絶景であった。

街中でとった昼食では、パクチーがよく効いたチキンカレーを食べた。チャパティというナンのようなものを付けて食べると美味しく、これなら毎日でも食べられそうだ。

さて、予定ではこの日の午後に、中国から陸路で国境を越えてやって来る、もう一人の友人と合流することになっていた。

カラコルムハイウェイはフンザからさらに北に伸びており、中国のウイグル自治区カシュガルまで繋がっている。陸路で中国との国境を越えられるのは、この道ただ1本だけだ。

西遊旅行ホームページより

クンジュラブ(フンジュラブ)峠というこの国境は、「世界一標高が高い国境」として知られている。その高さは4,693m。カリマバードよりもさらに2,000mも高いのだ。しかもカラコルムハイウェイはその距離を3-4時間で運んでしまう。このような急勾配は高山病のリスクを上げる。
その道を、シルクロードの時代から人が歩いて通っていたというから驚きだ。

クンジュラブ峠は、その標高の高さから冬になると雪で閉ざされ道路が凍結するため、例年は10月で閉まってしまう。またコロナ禍になってからは、移動が制限されていた中国との国境はずっと閉まったままだった。
しかし、2023年に3年ぶりに国境がオープンすると発表された。しかもこの年は、11月まで国境が開いているとのことであった。
ただ、国境を越える11月のその日まで、ちゃんと国境が開いている保証は全くなかった。全ては積雪と道路の状況次第だった。

パキスタン側から見たフンジュラブ峠。過酷な自然環境の中で堂々と門を構えるその姿に惹きつけられる。

さらに、ウイグル自治区は近年中国政府による監視体制が強化されており、2023年に反スパイ法が改正され、外国人の拘束も相次いでいる。何らかのきっかけでスパイを疑われて一度政府に拘束されると、いつ解放されるかもわからない。この地域を旅するには、ビザとは別に辺境旅行許可証の取得が必要となる。とにもかくにも、近年のウイグル自治区は旅のハードルが高い。

これらの複数の難関を乗り越えられなければ、彼がフンザで合流することはできない。

約束の午後になったので、僕らが散策を終えて宿に戻ると、ホテルのスタッフに声をかけられた。
「君たちの友人が上で待ってるよ」と。

あいつが本当に来てるのか!?
パキスタン北部は電波が弱く、ここ数日は彼とはロクに連絡も取れていなかったのだ。
半信半疑で、ホテルの屋上に駆け上がった。

彼は本当に来ていた。このフンザに。

雄大な景色を背後に、中国から持ってきたタバコをふかしていた。

彼と出会ったホテルの屋上

良くここまで辿り着いたものだ。辺境の地での久しぶりの再会を喜び合った。
屋上から辺りを見渡すと、快晴の空の下、雪山の斜面に反射する日差しが眩しかった。晴天と雪山、紅葉の鮮やかなコントラストが際立っていた。

こんな景色を前に記念に一杯やれたら最高だなと思っていたが、イスラム教が広く信仰されているこの国では当然酒を販売しているお店はない。
以前は、パキスタンの北部に中国のビールが国境を越えて流通していたようだが、近年では規制が厳しくなり、お目にかかることも無くなったという。それだけが口惜しかった。

これまでの旅の経緯を聞きたい気持ちで山々だったが、それは夜の話のつまみとしてとっておき、まずは次の目的地、隣町にあるアルティット村に向かうことにした。

ホテル屋上からの景色。ホテルの名はHunza Lounge。

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