ヨーロッパより安全?人工都市イスラマバードを歩く【カラコルムハイウェイ】vol.13

旅の記録

柔らかな布団に包まれ、静かな朝を迎える。パキスタンで初めての温水シャワーと清潔なベッドが、旅の疲れをじんわりと和らげてくれた。朝食を求めて、街へと足を運ぶ。フンザと比べると標高は下がり、気温は15℃に落ち着いていた。胸いっぱいに吸い込む空気が心地良く体に染み渡る。

大通りには車がひっきりなしに行き交い、衣料品店やスーパーマーケットが目立つ。賑やかながらどこか無機質だ。一本裏通りに入ってみると雰囲気は変わり、小さな飲食店が点在していた。看板もメニューもない質素な店が目に留まったため、地元の空気を味わえるのではないかという期待を胸に、店内へ足を踏み入れた。

店内は薄暗く、仕切りのないオープン構造の入り口から光が柔らかく差し込んでいる。厨房では店員が素手で調理をし、パンが焼ける匂いが漂う。チャパティと卵焼き、チャイのセットがやはり定番のようで、それを注文した。

椅子に腰掛けて店の外を眺めていると、出勤前と思われる男たちが次々と入ってきた。時折強い視線を感じるが、目が合うと皆笑顔を返してくれる。その小さな交流が不思議と心を温めた。

食事を終え会計をしていると、病院のスクラブを着た男が突然店員に声をかけてきた。

 「計算が違うぞ、50ルピー返してやれ」 

どうやら店員が単純に計算を間違えたらしい。男の指摘により、正しいお釣りを渡してくれた。店員は申し訳なさそうにしていた。 

思わぬ親切に驚きながらお礼を伝えると、男はすぐに立ち去ってしまった。この近くの病院に出勤していったのだろう。隣国インドでも、同じような親切に出会えるのだろうか。こうした些細な出来事の中に、この街の穏やかさが感じられる。

写真右がスクラブの男性

イスラマバードは治安が悪いという先入観を持たれがちだが、世界犯罪指数(2024年)では、シドニー、ベルリン、ロンドン、パリ、モスクワなど多くの欧米の大都市よりも安全とされている。スリや強盗は少なく、市内でのテロもここ数年は報告されていない。日本企業の進出も増えつつあり、最近ではKUMONがパキスタンのイスラマバードとラホールに支店を開設したことがニュースになっていた。

この街は、1960年代に計画的に開発された人工都市である。その名は「Islam(イスラム)」と「abad(居住地)」を組み合わせたものだ。元々パキスタンの首都は南部のカラチにあったが、カラチは汚い、貧しい、治安悪いという印象で、世界に誇れる新しい首都を作りたい、という意図のもと開発されたという。街路は碁盤の目のように垂直に交差し、車道は綺麗に舗装され、至るところに緑地が整備されている。トゥクトゥクの街への乗り入れは禁止されており、排気ガスや騒音も少ない。しかし街路の区画が大きいため、徒歩での移動は現実的ではなく、圧倒的な車社会となっている。Google Mapsで見ると短い距離に思える場所も、実際に歩いてみるとそのスケールの大きさに驚かされる。

公共交通機関は「メトロバス」と呼ばれる高速バスが主で、専用レーンを走行していて市内の主要スポットを結んでいるが、観光地を巡るにはタクシーが便利だ。ここではCareemという、中東地域で普及しているドバイ発のタクシーアプリが使われており、数分で車が到着する。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Islamabad_Metro_Bus.JPG

最初に訪れたのはファイサルモスクだ。このモスクは、名前の由来となっているサウジアラビアの国王ファイサルが資金を提供し、トルコ人建築家により1986年に完成した。人工都市であるイスラマバードには歴史的な建造物はほとんど存在しないため、イスラマバードで最も有名な観光地となっている。

パキスタンの地方から子供たちが遠足で訪れていた

三角形の屋根と空に突き刺すような4本のミナレットが特徴的で、従来のドーム型のモスクとは異なる斬新なデザインである。当初は批判も多かったというが、現在ではイスラマバードを象徴する建築物である。

訪問した時は礼拝中で、非ムスリムはモスクの中に入れなかった。仕方なくモスクの周りを散歩していると、若い男たちのグループに、「一緒に写真を撮ってくれ」と声をかけられた。日本人だと告げると、彼らは目を輝かせて喜んだ。日本人に出会うのは初めてだという。

コロナ禍の影響もあり、パキスタンを訪れる日本人旅行者は年間1,000人ほどに過ぎないため、この反応も納得できる。その後も多くの人が写真を求めてきた。期待を寄せる目に応えたいという思いが芽生え、彼らにとって自分が日本人の代表になる、この国の人々に良い印象を残せるようにしたい、そんなことを考えながら笑顔で写真撮影に応じていた。

ファイサルモスクの壮麗さと人々の温かい交流を胸に刻みながら、次の目的地へと向かうことにした。

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