ギルギットに到着すると、あたりはもう既に暗くなっていた。泊まらせてくれるという住民の家にお邪魔すると、今から夜ご飯を作ってくれるとのことだった。
パキスタンに来てから毎日ご馳走してもらっている。
夜ご飯まで時間があるから散歩しようと、家の裏にある山に連れて行ってくれた。この辺では景色が1番良いらしい。
街には数多くのお店が立ち並び、交通量も多く賑やかだった。古くから市場の町として栄えたギルギットは、州最大の都市であり、人口は33万人に上る。
案内された山には道があるわけではなく、スマホでライトを照らしながら、岩石が積まれた斜面を一歩一歩慎重に登って行った。
登山中、家の主人がひたすらテンション高く話しかけてくる。名前はジャヴェット。
40歳くらいの長身の男で、カメラマンや警備員など様々な仕事をやっており、つい先日まで仕事でウイグル自治区に行っていたとのことだった。そして僕らがフンザで合流した友人と一緒に、クンジュラブ峠を越えてパキスタンに帰ってきたらしい。
ギルギットやフンザがあるギルギット・バルチスタン州に住む人であれば、特定の条件の下、ビザなしで国境を越え中国に入国できるそうだ。
パキスタンでおすすめの街はペシャワールだと話していた。
ペシャワールと言えば、アフガニスタンで2019年に銃撃されて亡くなった中村哲先生が最初に活動を始めた街として有名だ。中村哲先生が現地代表を務めていたペシャワール会という組織にもその名が用いられている。
ペシャワールは、かつてガンダーラの中心都市として栄えた、首都イスラマバードから北西に車で3時間ほどのアフガニスタン国境近くにある街だ。旅人の間ではアフガニスタンへの入り口の街としても知られている。国境が近いので、ペシャワール近郊では数十人が亡くなるような大きなテロが頻発しており、治安は悪いとされている。
それにも関わらずジャヴェットは、「ハネムーンもいいぞ。ペシャワール・ハネムーン、グッド」
と連呼していて、思わず吹き出してしまった。
今のペシャワールにハネムーン旅行で行けば、そこで人生が終わってしまう可能性も高い。まあ2人まとめて爆弾で吹き飛ぶなら、それはそれで良いという考えもあるかもしれないが、僕の妻は絶対嫌がるだろう。
山の上まで登ったが、かすかな街の光が空を照らし、霞んだ空気が見えるだけだった。その景色は、まさに街のインフラ不足と大気汚染の深刻さをよく表していた。
目下に広がるのは、カラコルム国際大学という大学のキャンパスで、パキスタンではフンザやスカルドゥにもサテライトキャンパスがあること、中国やアフガニスタンからの留学生が多いことを教えてもらった。ジャヴェットが仕事でこの大学に関わっているらしい。
やがてディナーの時間になったので、家に戻り皆キッチンに集められた。
今回も、ゲストは座っててとのことだったので、目の前でカレーを作る様子を眺めることになった。
次の瞬間、シェフの奇異な行動に驚愕した。500mlペットボトルほどの大きさのボトルに入った油を一気に全て注いでいた。8人でカレーを食べたので、一人当たり50ml以上は油を使っていることになる。毎日胃もたれする理由も納得だった。
そして今日も、昼にカレーを食べたせいで、僕の胃袋は悲鳴をあげていた。
出来上がったカレーを見ても、食欲が全然湧いてこない。
すると、数口食べて手が止まった僕を見て、ジャヴェットがバナナを出してきてくれた。
何も口にしていないのに、気が利きすぎる。パキスタン人の気遣いは異次元だった。とびきりの感謝を伝えてバナナを完食した。
こんな油まみれのカレーを主食とするパキスタン人の健康状態が心配になってきた。当然これだけの油を連日摂取していて健康でいられるわけはない。
2016年に実施された、パキスタン全土の成人を対象とした調査では、96%が脂質異常症を患っているいう驚異的なデータがある。そして国民の7割が肥満である。これにより、心筋梗塞で亡くなるパキスタン人がますます増加している。
パキスタンでは依然として乳幼児や妊産婦の死亡率が高く、また衛生状態が悪いので感染症の対策にも追われており、こうした生活習慣病の予防まで手が回っていないのが現状なのだ。
僕の血液もドロドロになっていくのを感じていた。
食事を終え、そろそろ寝る時間となった。
今夜はパキスタンに来て3日目になるのだが、まだこの国で一度も温水シャワーを浴びれていない。連日の移動とイベント続きで、疲労も限界にきていた。こんな過酷な旅は20代最後だろう。
明日朝のイスラマバードに帰るフライトが飛ぶことを祈って、今日も埃に塗れたカーペットと布団の中で眠りについた。