車は渋滞に巻き込まれていた。工事車両のせいで車の動きは完全に止まっており、全く動きそうにもなかった。
一旦車外に出ることにした。
道端には、道端には腰掛けるのにちょうど良い大きさの石がいくつも散らばっていた。その上に座っていると、周囲の人々が次々に話しかけてきた。
そのうちの一人は、イスラマバードの大病院で働く研修医であった。
「ここはいつも工事で止まるけど、そのうち動き出すよ。俺は休暇が終わったので、これからイスラマバードに戻るんだ。でも正直、あまり戻りたくないな。」
病院の環境や仕事の内容は違えど、どちらも仕事に戻りたくないことだけは一致していた。
話が一通り終わると、研修医はお土産のフンザのりんごを手渡してくれた。一口かじると、甘くて美味しい。良い腹ごしらえになった。
その研修医の言葉通り、30分ほどで車列は再び動き始めた。落石で道路が完全に塞がれていたわけではなく、連日の道路工事が原因だったようだ。
進んでいくと、工事車両は中国のものだとわかった。中国が主導する砂利道の舗装と大規模な道路拡張工事により、カラコルムハイウェイの利便性は飛躍的に向上し、移動時間も大幅に短縮されたという。
カラコルムハイウェイでは同様に中国の支援でダムの建設も行われており、現場では撮影禁止の看板が立てかけられていた。
これらの公共投資は、中国の一帯一路構想の一環として進められているプロジェクトだ。この計画は、ウイグルとパキスタンのアラビア海に面するグワダル港を結ぶ2000kmの回廊を作り、中国とヨーロッパをつなぐ新たな物流ルートを開拓することを目的としている。現在、中国からヨーロッパへ物資を輸送するには、インドネシアとマレーシアの間の狭いマラッカ海峡を通らないといけないが、この回廊が完成すれば、そのルートを大幅に短縮できる。
しかし現地の住民レベルでは、この計画に反対する声もある。2024年には、ダムの建設現場に向かっていた中国人技師の車列を狙った自爆テロが起き、車が谷底に転落し複数の死者が出ている。この背景には、中国への経済的な依存が進むことへの不安や、地域経済への十分な利益還元がないことへの不満があるとされている。
さて、このカラコルムハイウェイには複数の検問がある。テロ対策のため、外国人は、検問ごとにパスポートとビザのコピーを提出し、顔のチェックを受けなければならない。イスラマバードとフンザ間では、これまで片道だけで10枚のコピーが必要とされていたため、陸路で往復することを想定し、日本からあらかじめ20枚以上印刷して持参していた。しかし、現在は検問の数が減少したのか、実際に提出を求められたのは6回だった。パキスタンのテロ件数も減少傾向にあり、9.11以降、少しずつ治安が回復しつつあることが示唆される。
検問を突破し、幾つもの集落を走り抜けた末に、ついにカラコルムハイウェイの終点、アボッターバードに到着した。ここはイスラマバード郊外にあり、タリバンが匿っていた、9.11の首謀者であるアルカイダのトップ、ビン・ラディンが最後に潜伏していた場所として知られている。パキスタンがこれまで、隣国アフガニスタンを安定化させるためにタリバンを支援していたのは事実であり、この一件についても、パキスタン政府が潜伏の隠蔽に関与した疑いが持たれている。
アボッターバードからイスラマバードまでの最後の60kmは、8車線の高速道路へと変化する。12時間にも及ぶ気が張り詰めたドライブが終わり、それに安堵したのか一気に疲れが押し寄せていた。高速道路から見える首都のビル群の夜景は、ようやく温水シャワーにありつけるかもしれないという期待を静かに膨らませた。