ギルギット空港に降り立った瞬間、目に飛び込んできたのは、空港とは思えない壮大な山々の風景だった。360度に連なる山の稜線は澄み切った青空に映え、その美しさに思わず息を呑む。冷たい空気が肺に染み渡り、心が洗われるような気分になった。
ギルギットからフンザまで行く手段としてはバスとタクシーがあるが、今回はスケジュールが限られていたため、より早く辿り着けるタクシーを利用することにした。

空港の外に出ると、寒空の下で多くのタクシードライバーが待ち構えていた。タクシーを探す外国人観光客は僕らただ1組だけだった。
ドライバーたちの熾烈な客引き合戦が始まる。
交渉が始まるや否や、ドライバー同士の怒鳴り合いに発展した。そのうち一人は、駐車場に置いてあったスタンド看板を持って他のドライバーに殴りかかろうとする。その直後、看板は地面に叩きつけられ、幸い人が怪我をすることはなかった。
その血気盛んさに思わず茫然としてしまったが、僕らに対しては法外な値段をふっかけてくることもなく、終始穏やかで、誠実さを感じさせた。もう少し身内にも優しくしたらどうか、そんなことを考えていた。
最終的にタクシーを任せることになったのは、ギルギット在住のアシュラフというドライバーだった。彼は僕らが乗車を決めると、「これでもやっとけ」と言わんばかりに、タクシーのトランクからボードゲームを取り出し、地面に投げ捨てた。他のドライバーたちはそれを受け取り、大人しく地べたに座りボードゲームで遊び始めた。同時にアシュラフは少しの食料とお金をドライバーたちに手渡していた。ギルギット空港に着陸する便は1日に2本しかない。僕らのような観光客を逃せば、今日の収入がゼロになる可能性もある。それを見かねての行動なのだろう。こうやって普段からお互い助け合って暮らしているようだった。

フンザ行きの道中、アシュラフは僕らの今後の予定を尋ねてきた。フンザまで運転した後にギルギットまで戻ってくる帰りの足を確定させておきたかったのだろう。どうやらギルギット周辺では、フンザ在住のドライバーと比べ、ギルギット在住のドライバーの方が往復の運転が必要な関係で料金が高くなることが多いらしい。
僕らはフンザ周辺を2日間観光した後、ギルギット空港まで陸路で帰ってくる予定だった。これを伝えたところ、ギルギットからフンザ周辺含め全行程を一緒に回ってくれるとのことだった。アシュラフとしても御の字だっただろう。運転をお願いすることにした。

アシュラフとともにギルギットを出発し、カラコルムハイウェイを北上していく。秋のフンザは、黄金色に染まるポプラや紅葉で谷が彩られることで有名である。そのベストシーズンは10月と言われているため、訪れた11月にも紅葉が見られるか心配だったが、その不安は道を進めば進むほど消えていった。
雲ひとつない空の下、黄色く色づいたポプラの木の間を青く澄んだ川が流れ、背景には険しい山々がそびえ立っている。待ち望んでいた景色だった。この先に待つフンザではどんな景色が見られるのだろうかと思うと、さらに期待が膨む。アシュラフは、景色が見えるたびに車を止めて「ここは写真を撮るのに最高だ」と笑顔で教えてくれた。その道を何度も往復しているという彼の言葉には、この土地への誇りがにじみ出ていた。

標高が上がるにつれて、車内は次第に冷え込んできた。体を温めるため、途中の休憩でチャイを注文することにした。パキスタンのチャイは、南アジアで飲まれるインドと同じ濃厚なミルクティーで、大量の砂糖を入れる中東のチャイとは異なるものだった。程よい甘さでしつこさがなく、たちまち飲み干してしまった。

休憩所のカフェでは、甘いチャイの香りとチャパティの香ばしい匂いが立ち込めていた。この薄く平たいパンは、パキスタンの家庭で日常的に食べられる主食で、その香りは食欲をそそる。
カフェのテラスでは、男たちがチャイを囲んで談笑しており、その和やかな声が静かな谷に優しく響いていた。男たちは皆、「フンザ帽」と呼ばれるウール製の丸い平坦な帽子を被り、シャルワール・カミーズという長袖・長ズボンのゆったりとした伝統衣装を着て、ダウンジャケットを羽織っている。パキスタンでよく見られる服装で、アシュラフも同じ格好をしていた。
テラスからは、ラカポシという山が見えていた。標高は7,788m。もうこの辺りは7000m以上の山ばかりだ。ただその中でもラカポシは、麓を流れるフンザの川から頂上まで垂直にほぼ6,000mの高さがあり、この点では世界最高峰とも言われている。山頂からたなびく白い雪煙が、太陽の光に照らされて輝いている。自然が創り出す壮大な芸術に、しばらく目を奪われていた。

再び車に乗り込み、走り続けること計2時間半、とうとう待ちに待ったフンザに到着した。

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