カラコルムハイウェイの北上を続け、ついに最北の町スストに到着した。
道路の両側には商店が立ち並び、カフェのテラス席では、トラックドライバーたちが談笑しながらタバコを吸っている。フンザを出発してから初めての町だった。
これより北は、中国との国境クンジュラブ峠までの険しい山道が続くだけで、町や集落は1つもない。スストまで訪れる観光客は少なく、氷河で有名なパスー村で折り返すツアーが多い。
スストは、地理的な位置から中国との貿易の中心となっている町で、中国から来た輸入品がパキスタンのトラックに積み替えられ、ここからパキスタン全土に出荷される。逆に中国に出荷する綿花や農作物といった輸出品が、パキスタン中からスストに集められる。
町には貿易のための税関が設置されていた。
マーケットのお店では、中国製のおもちゃや電化製品、衣類で溢れかえっているのを見ることができる。
そういうわけで、スストにはトラックが集結する。パキスタンのトラックは、中古車に絵付けをして数多くの装飾を施したもので、デコトラと言われている。その1つ1つが、こだわりを持った芸術作品のようだった。スストを出発したデコトラは、イスラマバードやラホール、カラチといった都市部まで長距離を走る。
今は貿易が盛んなスストだが、コロナ禍になってからの3年間は、中国側の感染対策が厳しかったため国境のクンジュラブ峠はずっと閉まったままだった。それによりスストでは多くの人が職を失い、経済的に困窮していたという。今年国境が再度開通し、活気が戻ったスストを見ることができた。
町からさらに先は標高が一気に上がる。スストの標高は2,700mだが、国境の標高は約4,700m。たった2時間で標高が2,000m上がってしまうという驚異的な山道になっている。高山病にならないように、ミネラルウォーターをこまめに口に含んでいた。
スストを出るとき、ドライバーのアシュラフが僕らに聞いていた。
「もしかしたら国境まで行けないかもしれない。積雪が多く、この普通の車ではスリップしてしまうかもしれないそうだ。警備員に無理だと言われたら途中で折り返すしかないけど、それでも進むか?」
国境まで数時間というところまで来ている。もう一生ここを訪れないかもしれない。
僕らは話し合って、前に進むことに決めた。
しかし、スストを離れるにつれ、道路脇の積雪が目立つようになり、そして道路の凍結も増えてきた。
アシュラフは、減速しながら慎重に運転を続けていた。
30km進んだところで、クンジュラブ国立公園に入るゲートにたどり着いた。この先は野生の動物が保護されている区域で、通過には別料金がかかる。
「ここから国境まではかなり雪が多い。(この車では)危ない。」警備員に止められた。
折り返すしかなかった。
目の前のゲートを、大型バスが通り過ぎていく。中国人と思われる人々が、バスの窓からこちらを眺めている。国境越えの公共バスなら問題なく通過できるようだった。
唇を噛み締めながら、しばらくその場で立ちつくしていた。
僕らはその後カラコルムハイウェイを南下し、パスー村まで戻ってきた。
ここでパキスタン北部地域の郷土料理、ヤクのカレーを食べることになった。ヤクとは、チベットやインド・パキスタン北部に分布し、最も標高の高い場所で生息できる牛の仲間で、荷物の運搬や食用に利用されている。
雪を被ったカラコルム山脈を見ながら、快晴の中テラス席で味わうカレーは絶品だった。ヤクは牛肉に似た味だが、脂が少なく、パキスタンで食べたカレーの中で最も美味しかったと思う。
この後は当初ガルミットという村で宿泊する予定だったが、気温が下がってきたため、急遽当日に宿が今シーズンの営業を終了したと、Booing.comから連絡が入った。突然今晩の宿がなくなってしまった。
フンザ地方は、冬季のオフシーズンになると宿の多くが閉業してしまう。仕方ないので新たな宿を探そうと相談していたところ、僕らに吉報が舞い込んできた。友人が国境を越える際に仲良くなったパキスタン人に連絡を取った結果、ギルギットにある彼の家に泊まれることになったのだ。
むしろ宿がなくなってラッキーだったかもしれない。というのは、ギルギットには空港があるため、帰りの飛行機に乗るにも便利だからだ。
フンザを通過してさらに南下し、ギルギットまで戻ることになった。
予定調和に縛られず、予測不能な瞬間にこそ旅の真の楽しさがある。そう感じながら車窓を眺めていた。
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